第1972回例会記録 会員リレー卓話「21世紀の医療」
先ずは薬剤の開発から見てみましょう。19世紀も医学が進歩した世紀ですが、開発された有効な薬剤は三つ、と言われています。
心不全に対するジギタリス、疼痛に対してのモルヒネ、マラリアに対してのキニーネです。
ここでは20世紀に開発された薬の中でメソトレキセートとl-アスパラギナーゼを取り上げます。
先ずメソトレキセートですが、1943年コーネ大学のSidney Farberは葉酸欠乏が貧血を起こし、逆に白血病に葉酸を投与すると激烈な病勢悪化で死亡することから、葉酸の拮抗剤が白血病の治療薬になるのではないかと考え、数種類の葉酸拮抗剤を米国レダリー社に依頼し白血病患者に投与しました。最終的には死亡するのですが、途中劇的な効果を示す症例に出会います。彼はこれを一時的な寛解状態と表現しました。人類が一時的にも白血病をコントロールできた最初の出来事でした。
次いでL-アスパラギナーゼです。やはりコーネル大学の病理学のJohn Kiddはマウスの鼠経部に移植した悪性リンパ腫培養細胞が30日で増大し確実にマウスを死に追いやることを確かめた後、あるマウスに直前にモルモットの血清を注入した所、移植された腫瘍は五日目より退縮し、遂には治ってしまうのです。この現象は世界中の研究者の注目を集めたのですが、メカニズム解明には至りませんでした。その時目を付けたのが文献に当っていた研究者で彼は既に1922年の段階でモルモットの血清にはL-アスパラアスパラギナーゼが多く含まれることを見つけL-アスパラアスパラギナーゼを抽出して治療した所見事に効いたのです。これはロイナーゼと言う薬剤となり現在も良く使われています。
さて白血病の病態と治療が進んできた20世紀には、慢性骨髄性白血病患者の白血病には白血病細胞に9番と22番染色体の相互転座があることが1960年代に発見されました。この疾患は約3年の慢性期を経て間違いなく急性転化を起こし、急性転化後は3カ月半で死亡し、治療抵抗性で100%の症例が死亡します。1980年代になり9番と22番の相互転座の部位が新しい遺伝子として機能しタイロシンカイネースを産生し、これが顆粒球の増殖促進となっていることが分かりました。その後1900年代終盤にこの、タイロシンカイネースを特異的に阻害する物質で副作用の極めて少ない物質としてイマニチブがDruker教授の基で開発されました。日本では2000年に承認され以後、慢性骨髄性白血病は急性転化することなく、外来で治療可能な白血病となりました。
その後種々の抗がん剤が開発され、アバスチンは結腸癌のステージ3以上でも外来で二週間に一回の注射で10年近く生きている方も稀では無くなっています。
さらに皆さんの記憶に新しい京都大学の本庶 佑先生のオプチーボはノーベル賞となりました。
1992年本庶先生の研究室大学院学生であった石田は胸腺の細胞死の祭に誘導されるcDNAを単離した時に偶然発見された細胞膜受容体分子がPD-1と名付けられました。その後西村らはこのPD-1が免疫反応の抑制物質であることを明らかにしました。2002年に岩井らはPD-1シグナルを阻害するモノクロナール抗体によって免疫系が賦活され、ウイルス感染症やがんの治療に効果に効果があることを発見しています。
その後卵巣がんの予後とPD-1の発現が良く相関したことが分かり、がん治療の方向性がはっきりしました。2006年にヒト型PD-1モノクロナール抗体が作成され治験が始まった。2004年にはメラノーマ治験薬としての承認が得られ、その後多くの癌腫で承認され、今では肺がん、膀胱がんを始め多くの癌に使用されています。
山中伸也教授のiPS細胞は2007年に作成され、その後は堰を切ったように多くの薬剤が登場しています
これ以後は全く新しいコンセプトでの対がん研究が行われています。
オプチーボを始めとする免疫チェックポイント阻害剤、レイザー光線による光療法、脳腫瘍に対してのウイルス療法、またWT-1を用いた療法などです。
皆さん死ねませんね!