第1967回例会記録 会員リレー卓話「ネパールの登山について」 

『アマ・ダブラム 6,856m 南西陵遠征報告』

2019年に初めての海外遠征の計画を立てたのですが、コロナの影響で出国が出来なくなり、2022年の11月4日から約一カ月、多くの山仲間やロータリーの友情も頂き、漸く出発をする事が出来ました。初めての高所登山、初めて感じる酸素の薄さは本当に苦しかったです。

世界一危険な空港と言われるヒラリー・テンジン空港から5日間のキャラバンを終え、漸くベースキャンプ(4,600m)に到着。仲間の一人は高山病が酷く、とても辛そうで心配だったが、四方には神を感じてしまう程、素晴らしい景色が広がっている。翌日から高度順応を2日行い、いよいよアタック開始。初日はベースキャンプからハイキャンプでテント泊、2日目はハイキャンプからキャンプ2まで標高は6,000mを越え、酸素は地上の半分だ。高度障害は出ていないが、とにかく息が苦しい。キャンプ2まで岩場も多く重たい荷を背負っての登攀がとにかく苦しかった。息も絶え絶えキャンプ2に到着。雲海が眼下に広がり雲から突き出す山が美しい。標高は6,200mぐらい。4時間ほど仮眠、出発時間に身体を起こすと頭痛がする。遂に高度障害が始まった。すぐにロキソニンを飲むと私は落ち着いたが相棒の若者は、かなり酷い状態だ。深夜2時、暗闇の中をピークまでの最後のアタックを開始、残りは標高で約480mぐらいだ。20歩歩いては2~3分かけて息を整えなければ苦しくて動けなくなる。酸素はないが、何処を見ても素晴らしい景色が広がる。生まれて初めて天国ってこんな場所なのかもしれないと思いながら少しづつ進んでいく。途中、高山病で意識を失っている欧米人が上からロープに縛られ下ってくる。天国の中の現実だ。慎重にすれ違いピークを目指した。結果から申しますと、3人中一人、Hがピークに到達。私と若者のOは、山頂まで100mを切った場所あたりで撤退を開始しました。動きが悪くなったOを声を掛けながら顔を覗き込むと、殆ど眠った状態の様になっていて、これはダメだと直感的に思いました。上を見ると、すぐ近くに見える頂上直下でHが待っている。でも、あそこまで多分、早くても30分、往復をしていると確実に1時間は掛かるだろう。Oに大きな声で降りるで!と声をかけても殆ど反応はない。2人で下り初めて暫くすると、日も落ちてきた。

完全に暗闇の中、少し雪と風も出てきた。もう、広島チームの3人だけでも無事に降りる事ができたら、あとは、もう、どうなってもいいと内心思いながら、キャンプ2に到着したら深夜3時を過ぎていた。前日の起床から28時間、行動し続けた。「あと30分ぐらいで山頂だったのにナゼ登らなかったのか」「C3を使えば余裕だったはず」「高度順応が時間がもう少しあれば」「ここで、もう一泊して、また夜、山頂を目指した方がいいのでは」いろいろな事が思い浮かび疲れているのに眠る事ができなかった。そこからベースキャンプまでも、疲れか睡魔かわからない状態の中、歩き続け星が輝く20時頃に到着。テントに転がり込むように入り朝まで眠った。太陽がテントに当たり出し外に出ると、やはり目の前には天国のような景色が広がっていた。また、いつか、この景色を見に来るだろうと感じた。