第1949回例会 新会員卓話「自己紹介」

皆様こんにちは、本日、卓話をさせて頂きます猪垣耕一でございます。7月に入会させて頂きましたが、未だご挨拶もまだのお方もいらっしゃると思います。大変申し訳ございません。この場をお借りしましてお詫び申し上げます。また新会員の中で私がなぜトップバッターか!?と思いましたが、アルファベット順という事なので、僭越ながら新会員の皆様の露払いの気持ちでお話しさせて頂きます。拙い話ではございますが宜しくお願い致します。

私は1965年(昭和40年)9月29日に広島市中区で生まれました。今年で57歳となります。家族は妻と3姉妹の5人家族となります。2年前に長女が結婚し、現在は家族4人が廿日市で暮らしております。幼いころははソフトボールや軟式野球に明け暮れる野球少年でした。国泰寺中学校に入学すると、3年間野球部に在籍しました。ただ当時は校内暴力など荒れた中学校の全盛期で、私の母親も何度となく学校に呼び出され大変苦労を掛けました。

そんな中学生活でしたが、何とか高校受験をパスし広島皆実高校に入学いたしました。そして皆実高校への入学は同級生の妻との出会いにもなりました。野球部の無い高校に入学した私は、クラスメイトの言われるままにサッカー部に入部いたしました。皆実高校サッカー部と言えば、Jリーガーも輩出する全国有数のサッカー強豪校です。しかし当時は30人足らずの部員しかおらず、現在の100人近く部員がいるサッカー部と同じ高校とは思えないチームでした。当然成績も在学中は広島県でベスト16が最高でした。そんな当時は普通のサッカー部でしたが、素人で入部した私でも試合に出場するなど楽しく部活生活を送ることが出来きました。また卒業後は後輩の素晴らしい活躍のお陰で、全国制覇する瞬間も国立競技場で観戦することも出来ました。そんな高校時代の数々の出会いが私の人生を大きく変えてくれました。

高校卒業後は1年間の浪人を経て広島修道大学商学部に入学しました。大学入学後はすぐにアルバイトに明け暮れ、そのせいで大学2年の時点で早くも留年の危機も迎えました。何とか同期の助けも有り4年で卒業する単位を取得できましたが、問題は就職活動でした。当時はバブルの最中で売り手市場でしたが、単位取得に翻弄した私は完全に就職活動から出遅れていました。同期が内定をもらう中で、広告関係に興味があった私は高校時代の同級生のお父さんに相談したところ、株式会社洋光を紹介いただきました。その方と創業者の髙重さんは東洋工業サッカー部の先輩後輩の間柄でございました。そして面接日に履歴書を持って伺うと、簡単な面談だけで即採用となり大変驚きました。入社後に聞いた話しですが、採用の決め手は高校時代にサッカーをしていたからでした。もし皆実高校に入学しサッカーをしていなければ、この場に私はおりませんでした。

そのような経緯で入社しました、株式会社洋光は髙重清純さんが東洋工業、現在のマツダ株式会社から独立され、1972年に起業された広告代理店でございます。髙重さんは12年前に急逝されるまで広島中央ロータリークラブに在籍されていましたので、よくご存知な方も多くいらっしゃると思います。おもなお客様は金融、不動産、自動車などの地元企業が中心でございます。広告媒体、グラフィック、映像、WEB、イベントなどあらゆる広告を企画立案しております。お陰様で今年1月には創業50年を迎えることが出来ました。私は平成元年に入社し今年で35年となります。そして令和元年11月に三代目の代表取締役に就任いたしました。その間30年にわたりマツダ株式会社の広島地区の広告宣伝を担当しております。RCCラジオで放送しております「マツダミュージックドライブ」は45年、広島FMで放送しております「マツダミュージックビークル」は35年も続く長寿番組となりました。また今年創業50年の節目として、7月にパセーラ広島にて広島出身の写真家三浦憲治さんの写真展「ミウラヒロシマ」を企画・開催し10日間で3,500人の皆様に来場いただきました。

私は入社以来、髙重さんから多くの事を学ばせていただきました。細かな指導をされることはまったく有りませんでしたが、常日頃、言われていたのは「人と人との縁は大切にする様に」という言葉でした。この言葉は髙重さんの交友関係の広さが物語っておりました。明るく豪快なの反面、きめ細やかな気配りは、出会う方全てを魅了されました。そのような所作振る舞いを亡くなる直前まで学ばせていただきましたが、未だ足元にも及びません。もっともっと学びたかったと今でも残念でなりません。

今年は1月に洋光が創業50年を迎え、2月には高重さんの13回忌法要が行われました。このような年に広島中央ロータリークラブに入会させて頂けたことは、高重さんから頂いた大切な縁と思い活動をさせて頂きたいと思います。最後になりますが、創業者の髙重さん、二代目の竹川さんと比べますとまだまだ未熟な私ではございますが今まで同様に皆様のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。本日は最後までご清聴頂き誠に有難うございました。