第1934回例会 会員リレー卓話「コロナ禍での飲食業」
皆さん、こんにちは。有限会社ピーワクスの上田です。
本日は大井プログラム委員長より、「コロナ禍での飲食業がどうなっているのか話をしてください」言われ、私のわかる範囲、聞いた範囲でよろしいのであればということでお受けさせていただきました。なので、多少偏った、幼稚な卓話になるかもしれませんがお許しください。パワーポイントなどは用意できていませんので、ひたすらしゃべり続けたいと思います。よろしくお願いいたします。
まず我社の業種ですが、飲食店専門の事務経理代行業と直営でラウンジとスナックを経営しております。「事務代行業」というのは個人経営のママ、マスター、居酒屋の経営者などの事務員を雇うまでもない小規模な経営者の代わりに事務作業をしています。売上伝票の打ち込み、領収書の仕訳、打ち込み、請求書の作成と発送など現金を扱う以外で確定申告の手前の決算書作成までをしています。件数的にはコロナ前までは約25件ほどで2年たった現在では18件に減少しました。クライアントはすべて流川という地域にある個人商店限定でありますのでこの減少をみるだけでも今回のコロナでの影響は正直、大きかったように思われます。ただ、後々お話ししますがこの閉店された経営者の中にはまた復活されている方も、何人かおられます。コロナが終息したわけでも無いのにまた復活できる訳、またこの地域で商売をしようと思う理由がこのコロナ禍での国、県との関りがおおきくありました。
僕の認識では、コロナというウイルスが耳に入りだしたのが2019年の12月ごろでまだまだ日本とは関係なく、世界のどこかでぐらいのような知識だったように思います。それからコロナを身近で感じたのは、皆さんもよくご存じの、翌2020年の2月に起こったダイヤモンドプリンセス号での大量感染です。まだこの時は、毎年恒例のタイゴルフ旅行に行ってタイの女性に「日本人、コロナ~、」と呼ばれてふざけていたのを覚えています。
直営のお店に影響が出だしたのは、翌月の3月です。予約の歓送迎会、総会の打ち上げなどの団体様から軒並み、キャンセルが入りだしました。数にして20件近くの団体様のキャンセルです。そして個人客の数も日に日に減りだし、来店人数よりも出勤女性の人数が上まる日々が始まりました。今年20周年を迎えるお店があるのですが、過去月間最低売上をたたきだし、呆然としたのを覚えております。そして、4月2日、松井市長の会見からの「不要、不急の外出禁止。」大手ヒロコシグループを始め、流川の3分の1が休業しました。我社も全スタッフ、キャストを集め、泣く泣く全店舗休業します。と告げました。多少の貯えがあったのもあり、その間のお給料は保証するので、皆さん感染に気を付けてお過ごしください。また再開のおりにはよろしくお願します。といって別れたのをおぼえております。そこから、再開できたのは、休業要請延期もあり6月末です。
4月頭の休業はじめの時には、今年の12月には復活できる、ここで吐き出しても取り戻せる!と思っていた根拠のない自信が揺らぎ始めました。そんな時にコロナ貸付などの無利子貸し付けなども始まり、安心と保険のために金融機関に申し込みにいったりもしました。今思えば、行っていてよかったと思っております。それがなかったらここでこうして卓話なんてしている状況ではなかったように思います。
再開の時に、スタッフで話し合い、感染対策のため席数を減らし、パーテーションなどの設置、マスク、フェイスガードなどの義務付け、などなどできることはしましたが、それとお客さまが帰ってこられるのは全くの別物でした。毎日のように流れる「飲食店、カラオケ店への敵視のようなニュース、クラスターなどの発表、人々の外出への罪悪感をあおるようなことばかりです。ただ、世間の情勢からはいたしかたないのかな?と思っていました。こんな時に流川でもそこら、かしこから噂が飛び交いだしました。「あのお店でコロナが出たよ。あのお店がクラスターになったらしいよ」といったものでした。今でこそ感染、陽性者はそこまでではありませんが、2年前は周りからはまるで犯罪者のような噂のされようでした。知り合いのお店はニュースなどで店名なども発表され、やむなく閉店!というケースにも発展したところもあります。こんなに仕事をしながら、罪悪感、嫌悪感、あらゆる人間の嫌な部分の感情を自分自身もいだき、他人から味わらされた日々はなかったように思われます。再開のおりにお客様に通達するのに、各スタッフへ、「お客様へ送るメッセージの定型文」を作ってこれを送ってください」とわたしました。内容は「休業要請も終わり、感染対策も万全でお待ちしております。ただくれぐれも無理はなさらないでくださいませ。」というものでした。このメッセージにでさえ食いついてこられる方も多数おられました。「不謹慎だ。こんな時に呼び出すのか!常識がない」などなど「ほっとけ!」としか言いようもありませんでした。ただ助けて下さる方のほうが多かったので今日もやっていけているのが事実です。
この困難を乗り切るためにいろんなお店がいろんなことを考えました。クラウドファンディングや未来チケットなど、飲食店でしたらデリバリーサービスなどです。当店では未来チケットを販売させていただきました。内容は¥50000で¥60000分のチケットをお渡しするというものでした。おかげさまでこの2年で約一千万近くご購入がありました。本当に感謝しか言葉がございませんでした。販売当初は「上田がお金を集めて夜逃げするつもりじゃ」と陰口もたくさん噂されましたが、今思えばそれもありだったなぁと笑い話にしております。
口頭で申しましたが、コロナと飲食店と国、県の関りで大きかったのが協力金です。今年の2月まで国からは、「緊急事態宣言」「蔓延防止重点措置」通称「マンボウ」、県独自の「休業要請」などがおこるたびに協力金がでました。こへんが飲食店が生き延びれてこれた理由があります。2年前の第一期から第三期のへんまではお店の大小、従業員の人数関係なく一律、一店舗いくら。というようなものでしたがそれ以降は昨年、一昨年の確定申告などから売上に比較してというものに代わっていきました。その分手続き、集める書類なども増え手間がかかるようにはなりましたが金額に変化があらわれ、まだまだ納得いくものになったように思われます。正直ホステスさんの保証を考えると足りたものではありませんが、随分と助けられました。よく「協力金太り」という言葉を耳にしたかもしれませんが、協力金には最低ラインと最高ラインがあります。この最低ラインが「ママ1人アルバイト1人」のお店からすると日々の売上より上だったりします。なのでいやらしい話ですが県独自よりは、マンボウ!マンボウよりは緊急事態のほうがもらえる最低ラインも変わってきますのでそういった方は「なんだ、マンボウか!」と悔しがっていたり、休業要請が延長になるたびに喜んでいたりする経営者もいました。生意気な言い方ですが我社は最高ライン近く頂いていましたが人件費、会社の維持を考えると足らない状態でしたのでうらやましく思ったこともありました。他にも、家賃支援など数々の協力金がありました。こうして飲食店はなんとか生き延びてまいりましたが、本当に大変だったのは流川でそういった飲食店を相手に商売をしている花屋、果物屋、酒屋、後、おしぼりなどのリース業者だと思います。飲食店が休業している間は実入りがないのですから、閉店されたところも多数あります。なんとか2年間こらえたところは、少なからずも生き延びれましたが、協力金では足らず飲食に未来を見いだせず閉店した店舗は2000件のうちの600件から700件といわれています。そのうち300件ほどはこのコロナ禍でも再オープンしているということです。私の考えでは、まだまだコロナは続くと思っております。ただもう以前のように「休業要請」なるものは出ない。ようにも思います。コロナと共存していく中でどのように生き延びていくかまだまだ我々飲食業界に与えられた試練だと思い、打ち勝っていこうと思っております。
最後に我が中央RCには色々な方面でこの2年間便宜を図らっていただき感謝の念に堪えません。次年度また上田会員卓話をお願いします。と言われていた時にちゃんと夜逃げせずに在籍できていることを切望し本日の宅話を終わらせていただきます。